かがりび発行記録 記念誌Ⅰ
かがりび発行記録 ⇒
1974年(昭和49年)~2013年(平成25年)
記念 |
H25 | かがりびⅤ | |
記念 |
H13 | かがりびⅣ | |
記念 |
S61 | かがりびⅢ | |
記念 |
S56 | かがりびⅡ | |
記念 | S51 | かがりびⅠ | |
182 |
H22 | 各隊活動報告 | |
181
|
H21
|
「入団・上進 おめでとうございます」 |
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奥田祐賢 |
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180 |
H21 |
各隊活動報告 |
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179 |
H21 |
各隊活動報告 |
|
178 |
H20 |
各隊活動報告 |
|
177 |
H20 |
各隊活動報告 |
|
176 |
H20 |
各隊活動報告 |
|
175
|
H20. 3
|
「忘れていませんか? 子供達に本当に大切なもの」 |
|
174 | |||
173 | |||
172 | H16.11 | 「そなえよつねに」 | |
奥田祐賢 | |||
奥田稔子団委員長を偲んで | |||
野舎営特集 FOSCAP2004 BGSC入団上進式 各隊部門活動 |
|||
171 | H16. 6 |
新春ラリー2004 |
|
大阪連盟カブラリー 各隊活動 |
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170 | H16. 1 | 新年号 成人して | |
第7回 BGSCキャンピック 2003 | |||
特別 | H11.12 | 野舎営特集 | |
新年 | H11. 1 | 名刺交換 なし狩り 宗教章修得 | |
H10.12 | 第12回日本ジャンボリー | ||
柴崎 實 | |||
大阪連盟を代表する スカウトになって |
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サンフ29隊を迎えて 12NJ | |||
ほたる狩り お灯明自転車リレー |
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故古川英司君を偲んで | |||
H10. 6 | 「楽しく 力強く 笑顔で」 | ||
赤塚勝巳 | |||
金剛登山サイクリング一泊研修 | |||
H10. 3 | 「信仰への道」 | ||
奥田祐賢 | |||
初詣でラリー | |||
H10. 1 |
名刺交換 成人するにあたって |
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秋季キャンプ シルバーリング |
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特別 | H 9.12 |
BGSC全員集合 夜間ハイク バザー |
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特別 | H 9.11 | 第4回USAキャンプ特集 | |
162 | H 9. 1 |
名刺交換 大谷スカウト年少大会 カブラリー |
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RSの一人言 1年間の活動 |
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第162号より、 各隊編集委員による手作り発行 |
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161 | H 7. 1 | 名刺交換 成人式 1年間の活動 | |
161 | H 6.11 | 第11回日本ジャンボリー 野舎営特集 | |
160 | H 6. 6 | 「かがりび発行20周年を記念して」 | 奥田稔子 |
入団式 指導者集会 スキー教室 | |||
159 | H 6. 1 | 名刺交換 秋季野営 クリスマス | |
成人式 富士スカウトになって ラリー |
|||
158 | H 5.10 | 第5回合同野舎営特集 | |
157 | |||
156 | |||
155 | |||
154 | H 3.10 | 野舎営特集 FOSCAP '91 | |
153 | H 3. 7 | 入団・上進・任命式 GBキャンプ | |
152 | H 3. 7 | 「BS隊長として思う」 | |
浅野武男 | |||
モトクロス 春季野営 スキー | |||
151 | H 3. 6 | 「入団上進式に思う」 | |
赤塚勝巳 | |||
かがりび大賞発表 BP祭 | |||
151号以降、かがりびオヂサン (編集委員長)から各隊編集委員担当 |
|||
150 | H 3. 3 | 「かがりび150号によせて」 | |
津田雅人 | |||
かがりび大賞コンテスト 成人式 | |||
149 |
H 3. 1 | 名刺交換 いも堀り 廃線跡ハイク | |
夜間ハイク チェーンミーティング |
|||
148 | H 2.10 | 野舎営特集 10NJ in 妙高高原 | |
富士挑戦キャンプ 親子ハイク | |||
147 | H 2. 9 | 「華のボーイ隊に思う」 | |
柴崎 實 | |||
春季予備キャンプ 花博 | |||
146 | H 2. 4 | 「何か とは 何でしょう」 | |
辻本啓多 | |||
花博セレモニー 入団式 | |||
145 | H 2. 4 | 「入団を控えて この頃思う事」 | |
南 照夫 | |||
春季舎営・野営 一泊研修 | |||
144 | H 2. 3 | 「Srでの3年間を振り返って」 | |
畑井明美 | |||
金剛登山 お茶会 BP祭 | |||
143 | H 2. 2 | 「Let’s Enjoy Scouting!」 | |
川端 優 | |||
正月会 スケート 成人式 | |||
142 | H 2. 1 | 名刺交換 カブラリー | |
お別れ舎営 春季・月の輪キャンプ |
|||
141 | H元.12 | 「そなえよつねに」奥田祐賢 | |
いも掘りハイク 親子ハイク | |||
140 | H元.11 | 「BGSCの発展を願い」 | |
畑井恭子 | |||
しじみ取り GB訓練 班長の集い | |||
139 | H1.10 | 野舎営特集 | |
138 | H1. 7 | 「第111団の休団に関して」 | |
北村 稔 | |||
富士挑戦キャンプ 親子ハイク | |||
137 | H1. 6. 8 | 「思いでの一言“備えよ常に“」 | |
橋詰源治 | |||
入団式 春季キャンプ | |||
136 | H1. 4. 8 | 「一致団結 大きく輪を広げよう」 | 赤塚勝巳 |
春季・アドベンチャーキャンプ | |||
135 | H1. 3 | 「鶴見緑地をこどもの国に」 | |
津田雅人 | |||
金剛登山 BP祭 | |||
134 | H1. 2 | 「もっと子どもを遊ばせよう3」 | 津田雅人 |
スケート 成人式 | |||
133 | S64. 1 | 名刺交換 フェスティバル城北 | |
特別 | S63.10 | 故奥田団委員長を偲んで | |
132 | S63. 9 | 野舎営特集 | |
お別れ舎営 春季・月の輪キャンプ |
|||
131 | S63. 6 | 「もっと子どもを遊ばせよう2」 | 津田雅人 |
CS親子ハイク BSハイク | |||
130 | S63. 6 | 「もっと子どもを遊ばせよう1」 | 津田雅人 |
故奥田団委員長を偲ぶ 金剛登山 |
|||
129 | S63. 2 | 「スカウト百までゲーム忘れぬ」 | 津田雅人 |
成人式 スケート ハイキング | |||
128 | S63. 1 | 名刺交換 クリスマス会 | |
127 | S62.12 | 「冬のスカウティング」 | |
津田雅人 | |||
連盟カブラリー 班長の集い | |||
126 | S62.11 | 野舎営特集 | |
特別 | S62. 9 | 第2回アメリカキャンプ特集 | |
125 | S62. 7 | 「強制と反抗について1」 | |
津田雅人 | |||
信仰奨励「親鸞・白い道」 親子ハイク |
|||
124
|
S62. 6 |
「少年少女がBS,GSから 逃げていない?」 |
|
津田雅人 |
|||
雨中予備キャンプ 信仰奨励映画・鑑賞 |
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123 | S62. 5 | 「自発活動とは?」津田雅人 | |
入団式 テーブルマナー 野舎営決定 | |||
122 | S62. 4 | 「標語について そねえよつねに」 | 津田雅人 |
お別れ舎営 春季・月の輪キャンプ |
|||
121 | S62. 3 | 「ローバースカウトとは」 | |
津田雅人 | |||
地区BP祭 金剛登山 | |||
119 | S62. 2 | 「真の成功とは幸福だけだ」 | |
津田雅人 | |||
成人式 スケート USAキャンプ場3 | |||
118 | S62. 1 |
名刺交換 秋季キャンプ SAキャンプ場2 |
|
117 | S61.12 | 「これが アメリカだ!!」 | |
フェスティバル城北 USAキャンプ場1 | |||
116 | S61.11 |
「いよいよアメリカへ BGSC号よ 走り出せ!」 |
|
いも堀り、帰敬式 | |||
115 | S61. 9 | 第4回合同キャンピック特集 | |
114 | S61. 7 | 記念式典特集 | |
113 | S61. 6 | 「節目」 北野吉徳 | |
親子ハイク 地区シニアーキャンプ | |||
112 | S61. 5 | 「原点にかえって」 | |
畑井須磨子 | |||
入団して スキー教室 夜間ハイク | |||
111 | S61. 4 | 「いじめとガキ大将」 | |
北村 稔 | |||
育成会総会 春一泊研修 春季野舎営 |
|||
110 | S61. 3 | 「育成会は我々のもの」 | |
赤塚勝巳 | |||
BP祭 シンキングデー 耐寒訓練 | |||
109 | S61. 2 | 「顰に効う」 奥田稔子 | |
成人式 オーストラリアジャンボリー スケート 野営 |
|||
108 | S61. 1 |
名刺交換 クリスマス会 月の輪組結成 |
|
107 | S60.12 | 「宗教心無き教育」 | 奥田祐美 |
報恩講 隼挑戦キャンプ ハイキング | |||
106 | S60.11 | 「一生懸命」 長谷川昭 | |
保護者会 区民まつり 交流舎営 |
|||
105 | S60. 9 |
野舎営特集 第111団団委員長逝去 |
|
104 | S60. 7 | 「座右の銘」 橋詰清光 | |
信仰奨励合宿 親子ハイク オーバーナイトハイク |
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103 | S60. 6 | 「自分のことは自分で」 | |
阪口敏彦 | |||
親子ハイク 一泊研修 春季キャンプ | |||
102 | S60. 5 | 「『らしく』生きる」 | |
中島由紀子 | |||
入団・上進・任命式 スキー教室 | |||
101 | S60. 4 | 「阿修羅の如くに」西中紀博 | |
育成会総会 春季野営 沖縄研修 |
|||
100 | S60. 3 | 「対処」 柴崎 實 | |
100号を発行して BP祭 耐寒訓練 |
|||
99 | S60. 2 | 「視野を広く持とう」 | |
畑井恭子 | |||
成人式 スケート教室 | |||
98 | S60. 1 | 名刺交換 クリスマス会 月の輪組結成 | |
97 | S59.12 | 「素直な目」 徳野精平 | |
報恩講 連盟カブラリー 地区フェスティバル | |||
96 | S59.10 | 「LEARN BY DOING」 | 奥田祐賢 |
保護者会 地区班長の集い | |||
95 | S59. 9 | 野舎営特集号 ベンチャーキャンプ | |
94 | S59. 7 | 「レンジャーのリーダーとなって」 | 畑井祐子 |
一泊研修 予備野営 ボウリング大会 | |||
93 | S59. 6 | 「スカウティングを見直し」 | 福井栄一 |
オーバーナイトハイク 母の日 SSキャンプ | |||
92 | S59. 5 | 「親と子の二重錯誤」 | |
川端 優 | |||
入団・上進・任命式 帰敬式を受式 |
|||
91 | S59. 4 | 「コミュニケーションの大切さ」 | 西尾 茂 |
育成会総会 春季野舎営 | |||
90 | S59. 3 | 「女性パワーと私」 | 奥田民子 |
地区BP祭 シンキングデー 耐寒訓練 | |||
89 | S59. 2 | 「創業から守成へ」 | 芳本孝雄 |
成人式 冬季野営 スケート教室 | |||
88 | S59. 1 | 名刺交換 クリスマス会 | |
87 | S58.12 | 「得るもの スカウト活動の中で」 | 松本房子 |
報恩講 追弔会 カブラリー | |||
86 | S58.11 | 「今、何をなすべきか」 | |
防災センター見学 地区班長の集い | |||
85 | S58. 9 |
野舎営特集号 第1回アメリカキャンプ 第3回蒜山キャンプ |
|
84 | S58. 7 | 「ちかいの意義」 | 中谷清志 |
親子ハイク 父の日 カヌー訓練 | |||
83 | S58. 6 | 「10年を振り返って 」 | 畑井須磨子 |
オーバーナイトハイク 母の日 WB研修所入所 | |||
82 | S58. 5 | 「努力しよう」 | 浅野武男 |
入団・上進・任命式 スカウティンピック |
|||
81 | S58. 4 | 「蟻が十で目が二・・・」 | |
育成会総会 春季野舎営 | |||
80 | S58. 3 | 「おかげさま」 | 奥田民子 |
BP祭 シンキングデー 耐寒訓練 | |||
79 | S58. 2 |
「遊びは子供の人生」 |
山本幸彦 |
成人式 スケート教室 | |||
78 | S58. 1 | 名刺交換 クリスマス会 | |
77 | S57.12 | 「一人では生きられない」 | 北野吉徳 |
報恩講 GS支部結成35周年 | |||
76 | S57.10 | 「感謝の心」 | 田中静子 |
区民まつり 新聞社見学 | |||
75 | S57. 9 |
野舎営特集号 8NJ 海外派遣 ホームスティ |
|
74 | S57. 7 | 「リーダー団委員の喜びと悲しみ」 | 北村 稔 |
カヌー木津川下り 父の日 親子ハイク | |||
73 | S57. 6 | 「道徳は家庭から生まれる」 | 堂野成生 |
隼挑戦野営 母の日 | |||
72 | S57. 5 | 「両親も運動に参加を」 | 赤塚勝巳 |
入団・上進・任命式 | |||
71 | S57. 4 | 「年寄りの独り言」 | 奥田稔子 |
春季野舎営 スキー教室 | |||
70 | S57. 3 | 「家庭の味の尊さ」 | 松田荘平 |
BP祭 シンキングデー 冬季野営 |
|||
69 | S57. 2 | 「信仰心」 | 奥田祐美 |
成人式 スケート教室 | |||
68 | S57. 1 | 名刺交換 料理教室 | |
67 | S56.12 | 「スカウトの父として」 | 芳本孝雄 |
カブラリー スカウトラリー | |||
66 | S56.11 | 「最近考えた事」 | 釘貫永枝 |
区民まつり 車いす全国大会 | |||
特別 | S56.11 | 津田修第111団団委員長を偲んで | |
65 | S56. 9 | 野舎営特集号 | |
64 | S56. 7 | 「初心を忘れずに」 | 伊野勝博 |
父の日 カヌー訓練 | |||
63 | S56. 6 | 「思いやりは何処へ?」 | 畑井祐子 |
母の日 アドベンチャーキャンプ | |||
62 | S56. 5 | 「ふりかえって。スカウトと共に」 | 山本洋子 |
記念式典 入団・上進・任命式 | |||
61 | S56. 4 | 「でっかい夢と頑張る心」 | 柴崎 實 |
春季野舎営 スキー教室 育成会総会 | |||
60 | S56. 3 | 「子供にとって迷惑な親とは」 | 山原 恵 |
地区BP祭 耐寒ハイキング | |||
59 | S56. 2 | 「ちかいについて」 | 奥田祐賢 |
58 | S56. 1 | ヤングリーダー抱負 クリスマスパーティ | |
57 | S55.12 | 「知恵と実行」 | 徳野精平 |
地区カブラリー アダルト洋上のつどい |
|||
56 | S55.10 | 「リーダーであり、母でありたい」 | 下農幸子 |
保護者会 区民まつり | |||
55 | S55. 9 | 野舎営特集 | |
54 | S55. 7 | 「親心-スカウト達よ考えろ!」 | 斉藤信夫 |
SS,Ra合同弁論大会 ブロックアダルト研修 |
|||
53 | S55. 6 |
「Scouting with boys -子供達と一緒に-」 |
川端 優 |
ハイキング 母の日のパーティ | |||
52 | S55. 5 | 「自己啓発」 | 西尾 茂 |
入団・上進・任命式 | |||
51 | S55. 4 | 「THINK」 | 榊原英夫 |
育成会総会 | |||
50 | S55. 3 | 「日々雑感」 | 北野吉徳 |
地区BP祭 シンキングデー | |||
49 | S55. 2 | 「そのまま真っ直ぐに」 | 水間孝子 |
BGSC成人式 初集会だより | |||
48 | S55. 1 | ヤングリーダー抱負 プラネタリウム見学 | |
47 | S54.12 | 「健康」 | 浅野武男 |
連盟カブラリー ハイキング | |||
46 | S54.10 | 「奉仕の心をつちかえ」 | 堂野成生 |
保護者会 区民まつり | |||
45 | S54. 9 | 富士キャンピック アグーナリー 海外派遣報告 | |
44 | S54. 7 | 「ガールスカウトの成長に祈りをかけて」 | 松本房子 |
夜間ハイク BSちかいの式 親子ハイク |
|||
43 | S54. 6 | 「信頼-親子の交流」 | 山本幸彦 |
子供カーニバル奉仕 GSリ・ユニオン | |||
42 | S54. 5 | 「他人への思いやり」 | 上農新治 |
入団・上進・任命式 スカウティンピック |
|||
41 | S54. 4 | 「努力と協力-人々に役立つために-」 | 畑井須磨子 |
育成会総会 スキー教室 選抜高校野球奉仕 | |||
40 | S54. 3 | 「信仰について」 | 北村 稔 |
地区BP祭 GS合同シンキングデー | |||
39 | S54. 2 | 「幸福な人生を送るため」 | 小泉賢治 |
海外派遣 子供をスカウト活動に入れて |
|||
38 | S54. 1 | 富士合同野舎営にむかって | |
37 | S53.12 | 「人間関係に断絶はない」 | 松田荘平 |
CSカブラリー GSブロックラリー 弁論大会 |
|||
36 | S53.10 | 「アダルトのねがい」 | |
保護者会 GB訓練報告 | |||
35 | S53. 9 | 野舎営報告 海外派遣報告 | |
34 | S53. 7 | 「感謝-それは恩を知るときに始まる」 | 浜田典三 |
キャンプにむかって SS,Ra夜間ハイク | |||
33 | S53. 6 |
「他人の幸福を はかることによって・・・」 |
赤塚勝巳 |
新スカウト感想 ハイキング | |||
32 | S53. 5 | 「奉仕について」 | 奥田稔子 |
入団・上進・任命式 スカウティンピック |
|||
31 | S53. 4 | 「スカウティングはゲームである」 | 津田 修 |
育成会総会 春季野舎営 | |||
30 | S53. 3 |
「スカウトの名誉は 人に信頼されることである」 |
奥田祐美 |
海外派遣だより | |||
タイプ印刷に改訂 | |||
29 | S53. 2 | BGSCシンボルマーク決定 | |
28 | S53. 1 | 成人式 | |
27 | S52.12 | 海外派遣決定 スキー教室 | |
26 | S52.11 |
CSいも堀り BSオリエンテーリング |
|
25 | S52.10 | SS52km夜間ハイク | |
24 | S52. 9 | 野舎営報告 7NJ参加者決定 | |
23 | S52. 7 | 野舎営 7NJ予告 | |
22 | S52. 6 |
GS大阪府支部30周年 記念式典を見学して |
|
21 | S52. 5 | 夏季野舎営決定 | |
20 | S52. 4 |
GS大阪府支部30周年 記念式典について |
|
19 | S52. 3 |
育成会総会 入団・上進・任命式 |
|
18 | S52. 2 | BS111団シニアー隊発足 | |
17 | S51.12 |
かがりび募金 スキー教室のお知らせ |
|
16 | S51.11 | カブラリーに参加して | |
15 | S51.10 | 第14回連盟カブラリー情報 | |
14 | S51. 9 |
キャンプを終えて ホームスティ感想 |
|
13 | S51. 7 | 夏季野営決定 7NJ決定 | |
12 | S51. 5 |
25周年記念式典終了 海外派遣決定 |
|
11 | S50.12 |
1975年を振り返って 25周年をむかえて |
|
10 | S50.11 | スカウティンピック報告 | |
9 | S50.10 | スカウティンピック カブだより | |
8 | S50. 9 |
合同野営 14回世界ジャンボリー報告 |
|
7 | S50. 9 | 合同野営情報 | |
6 | S50. 9 | 山中野営場紹介 | |
5 | S49.10 | 任命、上進式 | |
4 | S49. 9 | 団キャンプ報告 | |
3 | S49. 8 | 6NJ APC情報 | |
2 | S49. 7 | 団キャンプについて | |
創刊 | S49. 6 | かがりび発行にあたって |
パート Ⅰ ⇒
1976年(昭和51年)
かがりび 表紙 | ||
記念誌 表紙 | ||
口絵写真 | ||
創立者・初代隊委員長 故奥田祐道 | ||
はじめに | ||
目次 | ||
あ い さ つ | ||
あ い さ つ | 育成会会長 田保 昭 | |
BS第11団団委員長奥田祐美 | ||
BS第111団団委員長 津田 修 | ||
あいさつ | ||
GS第62団団委員長 奥田稔子 | ||
あしあと | ||
隊 旗 | ||
大阪第11団・第111団登録番号 | ||
おもいでの写真集 | ||
活動記録 | ||
活動記録 | ||
全国大会・日本開催ジャンボリー派遣記録 | ||
野舎営記録 | ||
年長隊富士野営参加記録 | ||
海外派遣記録 | ||
スカウティンピック開催記録 | ||
進歩記録 | ||
指導者研修歴 | ||
指導者研修歴 | ||
指導者養成講習歴 | ||
奉仕記録 | ||
表彰記録 | ||
OBより一言 | ||
元11団少年隊隊長 北村 稔 | ||
元11団少年隊上級班長 松隈 勉 | ||
初代CSデンマザー 木下美知子 | ||
ないしょやよ | ||
元11団CS隊隊長 久保淑子 | ||
記念式典にあたって | ||
カブ隊 | ||
シニアー・ボーイ隊 | ||
ローバー隊 | ||
ボーイスカウト歴代指導者年表 | ||
営火夜話 | ||
編集後記 |
かがりび表紙 題 字 ⇒
長田義一 初代育成会会長筆
は じ め に
日本ボーイスカウト大阪第11団結成25周年、日本ボーイスカウト大阪第111団結成10周年、ガールスカウト大阪第62団10周年、それぞれの年輪、それはたゆまぬ歩みの足跡であり成長の歴史である。
昭和24年9月、故奥田祐道氏により、ボーイスカウト今津準備隊が結成され、昭和25年4月18日にボーイスカウト11隊として初期登録がなされて以来、その活動はめざましいものがあった。
残念ながら26年12月創立者は急逝され、その後やむを得ず休隊という事態に直面した。
しかし 今津のボーイスカウト運動の火は消えてはいなかった。それは33年8月盆おどりの夕べが開かれている やぐらの上に、つかっかとかけ上ってきて場所もわきまえず、ボーイスカウト復活の話を 円通寺奥田祐美住職にお願した4人の少年達により始まる。
あくる日も 次の日もやってくる彼らのあまりの熱心さに住職はこん負けしたらしく、本堂の片隅を集会室として与え、どこまでやれるか自分達の力でやってみるのがよいとの言葉に早速友達を集め、やがて指導者も決り準備隊としての形は出来上った。こうしてちいさな組織ではあるが再び活動を始めたのである。
やがて36年6月復活登録が承認され、37年6月年長隊誕生、41年5月カプスカウト隊の誕生となった。スカウトの増加とともに団を増やさねばならず41年12月兄弟団の111団が発団、カプスカウト隊が誕生、さらに42年5月ガールスカウト大阪62団が加わり、育成会の仲間入りをした。 45年4月111団ボーイスカウト隊と46年4月ガールスカウト上級62団が誕生、49年4月には、ローバースカウト隊が誕生し、11団に於ては理想的な団組織となった。
又、ガールスカウトに於ても48年4月団組織が改正され、アダルト、レンジャー部門、シニア部門、ジュニア部門が設けられ一つの団として名称が変更された。
この様に一歩一歩確実に多くの人々の力添えによりみごとに発展してきた組織の姿、私達は今それぞれの歴史をふりかえって見る事はさらに今後のスカウティングを築いていく上に極めて大切な事でなかろうか、歴史があって今日の現在が築かれたのであり、現在の絆の基盤の上にたって明日からの未来が積み上げられていくと信ずるからである。
この記念誌は諸氏の協力を得、25周年の良き年に当り、ボーイスカウト大阪第11団、大阪第111団、及ガールスカウト第62団、それぞれの年輪のドラマを記録したものである。 ⇒
ごあいさつ
BGSC育成会会長
田保 昭
日本ボーイスカウト大阪第11団結成25周年、大阪第111団結成10周年ならびにガールスカウト大阪第62団結成10周年とそれぞれ記念すべき年にあたり、誌上を拝借し、お祝いを申し上げる機会を得ましたことは、私の無上の光栄に存じます。
25年、10年と年数の違いこそあれ、各団創立以来幾多の難関を克服し、風雪に堪え、ここに記念すべき年を迎えられ誠におめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。各団委員長始め、各団結成に御尽力下さいました関係者の方々、現在団運営および直接スカウトの指導にあたっておられる指導者の皆様方のお喜びは格別のことと存じます。
ボーイスカウト・ガールスカウト活動の目的は皆様方御承知のこととは存じますが、英国のベーデン・パウエル卿が人間形成の方式として、独特の理念と方法で打ちたてられ、その対象を次の時代をになう青少年に対する人間教育として創案されたものです。
従ってスカウト運動は指導者のみがその教育に。あたるのではなく、スカウトの保護者も参加し育成会組織を通じこの運動に協力を得られなければ達成できない大きな教育運動です。スカウトの皆さん、あなた方は歴史と伝統と栄光に輝く本団の名誉あるボーイスカウト・ガールスカウトの一人として自覚と信念を持って家庭や学校や職域など全ての社会において役に立つ国民となると共に国際人として世界に通用する人となって下さい。
団運営に参加される団委員の方々ならびに、直接スカウト教育に当る指導者の方々、創始者の意志を尊重し新らしい世界を造るスカウト達の指導育成に精励下され、永遠に栄えるこの三団の限りなき前進と発展に尚一層御尽力下さることをお願い申し上げますと共に、私達育成会会員一同微力ながら協力をお約束申し上げ、お祝の言葉と致します。 ⇒
かがりびをかかげて
大阪第11団団委員長
奥田祐美
思い返せば昭和24年9月、先の住職奥田祐道によって、今津の地にボーイスカウト準備隊が結成されて、12名の少年による訓練が始められました。戦後間もない頃で、一般には明日の糧をどうして得るようかとした時代で、青少年教育に関心はあっても、構ってはおれないという時代でした。
スカウトのユニフォームも揃わず、風呂敷をネッカチーフ代りに首に巻き、町を走り回る姿に、奇異の眼を送られたものです。
24年9月10日大手前の教育搭広場で聞かれた、大阪連盟結成式の記念大営火に、一日も早く立派なスカウトとして仲間入りできる事を夢みて、見学参加したものです。
25年3月1日今は亡き、指導主事鈴木栄次郎師の隊審査を受け、25年4月6日隊委員5名、リーダー2名、スカウト18名による、日本ボーイスカウト人丿阪第11隊として、晴れて登録、スカウトの仲間入りをしました。
隊号については、同時に発足した南東地区の10隊に先を譲り、2桁の1番でと11隊とした事が、今でも思いだされます。
25年7月29・30日大阪城内相畑で行われた大阪連盟最初のキャンポリーに参加し、続いて8月18~20日まで、東京新宿御苑で聞かれた第2回全日本ボーイスカウト大会に、奥田祐道隊委員長引率のもと、スかウト14名、リーダー2名、附添3名と計20名で参加し、大阪11隊の名を高めたものでした。
25年9月17日の大阪連盟総会で奥田祐道隊委員長は、中央城北地区選出の理事となり、明けて26年2月17・18日京都で開催された、日本連盟臨時総会の記念パレードに大挙参加しました。
26年8月4~8日まで、山形県蔵王山麓鳴谷池高原において開催された、日本ボーイスカウト野営訓練大会には、大阪連盟本部員として参加し、いよいよ充実しだスカウティングをと思っていた矢先、創立者であり先達であった、奥田祐道隊委員長が55才の若さをもって急逝されました。
隊組織もやっと固まり、育成会組織もこれからというときに、一同途方に暮れ、私自身無力であった為、休隊の止むなきにいたりました。
幸にして火は消えず、当初のスカウトが相集まり、一日も早く復活をと願い、隊長に北村稔、副長に堂野成生、団委員に二見敬一と、それぞれに就任し、35年9月準備隊を結成しました。先の轍を踏ぬよう着実な準備を行い36年4月大阪第11団として再発足しました。
時も変り多くの人々の御支援を得て、今日の隆盛をみるとき、前隊委員長の灯された火を消すことのないよう努力していきたく思います。
ここに初期登録25年(復活15年)記念誌を発行できますことを、心から喜ぶと共にスカウト活動になお一層の御理解と御支援を賜りますよう、お願い申し上げます。 ⇒
もえろスカウト魂
大阪第111団団委員長
津田 修
早いもので、私がスカウト活動を姑めて25年になります。
当時、奥田祐道氏(祐美氏厳父)が中央、城北地区委員長で、奥田祐美氏が市内で11番目の大阪第11隊隊長(初代城北地区コミッショナー)として颯爽と活躍しておられ、私達の憧れの的でした。
そして、奥田祐美氏は区内の各小学校はもとより府内、他府県に至るまでスカウト運動の発展、啓蒙のため大阪連盟の役員とともに文字通り東奔西走のご活躍でした。
丁度その頃、私は小学校の同窓である江村界雄廷(初代大阪第28隊隊長で奥田祐美氏の学ぱれた大谷大学の後輩)に誘われ、指導者講習合を受講、たまたま浜田典三氏も一緒に受講され、私は大阪第28隊副長として、浜田氏は大阪第39隊隊長としてそれぞれ歩み出したのであります。
幸にも私は常に良き先輩、指導者に恵まれ、数度にげる指導者講習会や中国地方研修所で吉川哲雄先生の薫陶を受け、近畿地方研修所では中村知先生の威徳に触れ、中央実修所では古田誠一郎先生に教えを受ける機会に恵まれました。
そして大阪第28隊時代に、ガールスカウトの結成には失敗しましたが、シニア隊とカブ隊を結成し、またアドバイザー、地区副コミッショナー、コミッショナー、地区野営行事委員長、隊委員など貴重な経験をさせていただきました。
大阪第11隊の創設者である隊委員長の奥田祐道氏が昭和26年12月急逝され、休隊状態が続き、暫く奥田祐美氏とも音信が途絶えていたが、偶々昭和33年市立中央公会堂で開かれた大阪市青少年指導員大会で再会、翌年指導員仲間の浜田氏と松田荘平氏等と会い、こうして青少年活動を通じお互いに刎頚の交りを誓いました。
後に復活した大阪第11隊の隊委員として参画したのは申すまでもありません。
爾来、大阪第11団はスカウト出身の指導者によってスカウティングが継承され、カブ隊、シニアー隊、ローバー隊が続々と誕生、それに兄弟団の大阪第111団や、姉妹団のガールスカウト大阪第62団も誕生し、一大スカウト家族を形成したのであります。
かくして四半世紀以前にまかれた一粒のスカウトの種は、冬眠の一時期はあったものの、絶えず指導者の熱血と団委員の理解、育成会の暖かい励ましによって、見事に成長し、国内はもとより、遠く海外までも道を求めて活躍をしてきたのであります。
このスカウト活動発展の蔭に忘れてはならないのは、活動の場を全面的にご提供下さった円通寺および円通寺学園と一家を挙げて献身的にご奉仕いただいた奥田家(祐美氏第11団団委員長、夫人民子氏ガールリーダー、母堂稔子氏ガール団委員長、長男祐賢氏ボーイ隊長)の方々のご芳志であります。
私達もこれを期に、より一層スカウティングに励みたいと思います。 ⇒
あ い さ つ
ガールスカウト第62団団委員長
奥田稔子
大阪市立榎本小学校講堂に、多くの方々をお招きして、登録披露式を行いましたのが、ついこの間のように。思われますのに、早くも10周年を迎えました。
当時、大阪府支部におかれましては、大阪ガールスカウト20周年記念式典並びにラリーが大阪市中央体育館で開催され、登録早々の62団が、ユニフォームだ、団旗だと慌しい中に参加しました事が、夢のように思い出されます。亦、45年の万国博の年には、ガールスカウトが世界に出来て60年(ダイヤモンドジュビリー)日本に出来て50年(ゴールデンジュビリー)の記念行事が催されました。大阪府青少年野外活動センターの国際キャンプ、万博会場、お祭り広場の国際ラリー、万博の開会式の旗上げ、閉会式の旗の式、期間中の乳母車の貸出し奉仕と、それぞれに参加しましたこと。46年には、沖繩ホワイトビーチで開催された沖繩キャンプに派遣したこと、暑い夏の毎年の、団キャンプ、等々、次から次へと走馬灯のように浮かんでまいります。
ここに10周年記念誌を発行して、過ぎ去りました年月を振り返ります時、ガールスカウト運動を理解して、ご支援をいただきました多くの方々に。深い感謝を申し上げます。
当時、スカウト12名、リーダー3名、団委員4名、計19名の小さな団でしたのに、46年に上級スカウトが生まれ、48年には組織の改正により、ジュニア、シニア、レンジャーの三部門と、アダルトスカウト(成人会員)とで構成され、順調な発展を遂げてまいりました。
今では、ジュニア27名、シニア28名、レンジャー14名、アダルト6名にリーダー9名、父兄団委員6名の計90名の団となりました。
その間、団委員をはじめ、リーダーの方々に、家庭の中、学業の中をスカウト活動に、ご協力をいただきまして、よりよきスカウティンダに励んで下さいましたお蔭と、厚く御礼申し上げます。
発団当時、団委員をしていただきました、田中静子、松本房子、水間孝子さんには、今はアダルト会員として、下農幸子、奥田民子さんには、今もなおリーダーとして、ご活躍いただいていますこと、12名の初期スカウトの中より活動を続け、現在リーダーとして活躍して下さっている西尾世津子、岡村友代、相沢正枝、上野真理子さんにも、団としての誇りでありますことを、誌上でご紹介すると共に、今後もご活躍下さいますことをお願いします。
最後になりましたが、この、良き婦人づくりを目的としてのスカウティングが、一人でも多くの少女のため、益々発展する事を念願して、尚一層のご支援を切にお願い申し上げます。 ⇒
大阪第11団初代隊委員長 ⇒
あしあと ⇒
大阪第11団・第111団 各隊隊旗 ⇒
ボーイスカウト日本連盟登録番号 ⇒
日本ボーイスカウト 大阪第11団 |
1737号 | |
カブスカウト隊 | 1108号 | |
ボーイスカウト隊 | 734号 | |
シニアースカウト隊 | 361号 | |
日本ボーイスカウト 大阪第111団 |
2899号 | |
カブスカウト隊 | 1211号 | |
ボーイスカウト隊 | 5193号 |
OBより一言
私のスカウトの思い出
元大阪第11団少年隊隊長
北村 稔
私がBSに入隊したのは、昭和25年だったと思う。
あの当時、制服も帽子も満足になかったので、全員が同色の生地を買い求めて、制服を作ったり、ネッカチーフ、帽子(略帽)も自家製でした。
もちろん、他の備品も米軍放出品の安いのを探してきて買ったり、手旗などは、今でいう手作りの良さ(悪さ)がありありと、目立つものでした。
そんな服装に誇りを持って、”ちかい”、”おきて”を守り、一日一善を果たし、BS活動に一生懸命でした。
隊本部は。今と同じ円通寺にあに私達の班の巣は本堂の右の方にあり、週一回の班集会は、巣の中でしたり、本堂前や神社境内などでしたものでした。
当時の隊長は、現BS団委員長の奥田先生です。隊長はBS教育では大変きびしく、又、他面では、私達がハイキングに行って、道を間違えて帰隊が遅れた時などは、ラッパを持って捜索に来てくださったりという、父か兄のように、親しみの持てた隊長でした。
そのような、BS活動で得る、救急法、結策法、又団体生活などは、社会人になっても大いに役立つものです。
今も思い出されるのは、昭和25年の東京・新宿御苑で聞かれたジャンボリーです。初めての遠路の旅、長期のキャンプ生活、又各国、各県のスカウトとの交流など、貴重な体験を得たことを大変良かったと思う。
これまで記したのは、私が少年時代に過した、BSの思い出の一部です。
又、今年は11団発足25周年と、輝やかしい昭和51年。四半世紀という長い期間には、苦しい時もあったと思いますが、今日まで11団が存続できたのは、多数の良い指導者に恵ぐまれた、お蔭でしょう。
今後とも、BS11団、111団、GS62団の益々発展してゆくことを祈ります。
一たび、スカウトに、
誓をたてて、なりし身は、
死して後もスカウトだ。
”いやさか” ⇒
素晴らしいスカウティング
元大阪11団少年隊上級班長
松隈 勉
ボーイスカウト大阪第11団結成25周年、大阪第111団結成10周年、又ガールスカウト大阪第62団結成10周年誠におめでとうございます。
私も16年程前に大阪第11団の新米スカウトとして入団し当時の奥田団委員長をはじめ、小泉隊長、北野氏他多くの先輩方のご指導をうけ、以後約7年間スカウト活動に参加させていただきました。その頃は隊の部屋も、円通寺の裏の小さな一室でした。その間の大きな行事としては、御殿場で聞かれたアジアジャンボリーに参加したのを覚えております。その他、室池でのキャンプ等多くのなつかしい思い出があります。
今振返って見ても、スカウトの活動は素晴らしいの一語に尽きます。
スカウト活動の素晴しさの一つに団体生活があります。現代社会では、大人になればなる程、団体で生活をする機会が少なくなって行きます。仲間と一緒に寝起きし、互いに語り励まし、協力し、成長して行く事のできるスカウト活動は、大人の目から見ても素晴しいものである事は議論するまでもないでしょう。その様な生活を通じての友人こそ真の友人であると確信しております。
また、キャンブ等の野外活動がどれだけ楽しいものかは皆さん十分にご存知のはずですが、はたして一般の人(スカウト以外の々)が一生の間に何回キャンプを楽しむ機会があるでしょうか。
お金では買えない、健全な楽しさをスカウトの皆さんは、思う存分昧わえる事ができるのです。
それに、スカウト活動というものは、日本だけではない事は誰れでもが知っています。世界中どこへ行っても制服のスカウトに会える事ができます。スカウトは総て兄弟というモットーからすれば、皆さんは世界中に数え切れないほどの兄弟を持っているのです。何と素晴しい事ではありませんか。
このように、スカウトの活動というものは、大変価値があるものですが、それを意義あるものにするかどうかは、各スカウト個人にかかっていると思います。組織が大きくなればなるほど、全体の流れに何となくついて行き、何だか分らないうちに終ってしまったという事になりがちです。
そんな事ではスカウト活動の本当の値うちは半減してしまうでしょう。そこで、各個人のスカウトが、あらゆる活動において主体となル事が必要であると思います。つまり、何らかの形で自分がその活動に貢献する事、例えば、キャンプにおいても、テントの設営は自分の仕事であり、誰にも負けない程上手に張れる。また食事の仕度なら責任を持ってできる、という様な責任と自信を持つ事ができるよう努力する事が大切であると思います。
以上思いつくままに述べましたが、最後にスカウトの皆様のご健康と団のますますのご発展をお祈りいたします。 ⇒
カブスカウト卒業生の想いで
初代デンマザー
木下美知子(旧姓 上野)
発隊式を終って、スカウト活動に入りましたが、私にとってスカウト活動そのものが初めてでした。
デンマザーの講習会で教えられた「カブスカウトは遊びの中にスカウト活動を盛り込んで行く」という言葉を頼りにカブ達と接し始めました。
最初は、本当に遊びだけで、デンマザーとふざけるそんな集会でした。半年経ち、一年を過ぎて行くと、今までの中に訓練らしきものが見えだしました。
それぞれ個性的に、びっくりする程絵の上手なスカウト・小柄でチョコチョコ走り回る子、みんなをまとめて行く子、こんな頃から個性がはっきりでるものかと驚かされました。
今はどんな風に成長されているのでしょうか。私の知っている彼等とは、遠く離れているのではないか。どこかですれ違った時私に判るであろうか。こんなことを考えながら、顔をほころばせています。
ボーイスカウト・シニアースカウトにと活躍している人もいることだろうと思います。
こんな楽しい想い出を残して下さったスカウトの方々を始め、団本部の方々・育成会の皆様に、お礼を申し上げます。
これからもよき友人としてスカウトを見守ってやって下さい。
私も、いろんな人を知り、別れて行く、人と人のめぐり逢いを大切にしたいと思います。 ⇒
ないしょやよ
元大阪11団カブスカウト隊隊長
久保淑子
ないしょやよ。
ものすごう恥ずかしいもん。
河内長野のキャンプは行きはった?
カオーッと照りつける真夏でした。駅から20分程も歩くと宿舎なのに、風のない直射日光は目が痛い、帽子の下の頭はボッーと蒸し風呂みたいでした。右側の山肌を見上げると、おじいさん、おぱあさんみたいなブナ、かつらの樹々が厳粛に眼るように直立していました。でもいっこうに日陰とはなってくれず、ひからびた砂地を汗で浸しながら歩いてゆきました。
トラックが2台走り過ぎ
て砂ぽこりが一列縦隊の隊員にあびせられました。
ウワーッ、ブウウー、額にへぱりついた砂をはらい、息を吐くと左眼下にプールのある宿舎にたどりつきました。
午後のプログラムに、プール遊泳が組みこまれていました。
君、疲れているからプール休みなさい!(L)
イヤ、休まない(隊員)
休みなさい!(L)
休まない。(隊員)
休みなさい(L)
休みまーす。(隊員)
隊員の9割がプログラム参加となり着替えを済ませ、準備が出来ました。で、リーダーも、アッ、Aリーダーがまだです。
”時間でーす”と呼びに行ったの、組毎に整頓されているユニフォームの山を飛び歩きながらリーダーの部屋の前まで来たのです。
トン、トン、(2ツ、トントンは泥棒と間違えられるって話があったわね)
トン、トン、トン、(誰れも居ないのかしら)
トン、トン、トン、トン、(入りますよ)、ドアを押して、首をのぞかせました。
(リーダーの部屋てきれいだな、Aリーダー居ないのかな(‥‥‥‥‥ああっ‥‥‥‥)
リーダー着替え中やってんネ。
それも、今、右足から海水パンツはくとこ、横顔を見せて、パンツの所だけ白くて、ものすごう恥ずかしいもん、
ないしょやよ。
Aリーダー
それは貴方です。 ⇒
記念式典にあたって
11団・111団カブスカウト隊
大阪11団が、本年を以って設立25周年を迎えられたことは、誠におめでたい限りで、心からおよろこびを申し上げます。
さて、カブスカウト諸君には、今から隊長が質問して回りますことに答えていただきます様に、よろしくお願いします。
隊 長 それでは一番楽しかった事は?
T 君 それは‥‥舎営、みんなで一緒に、いって寝れるから。M 君 やっぱり舎営(山中、忍野)めったにいかれない所へ行けるから。
S 君 ぽくも舎営(ユニトピア)スタンツ、ソフトボール。
隊 長 もう一度してほしいと思うことは。
K 君 とうもろこし狩に魚釣り。
T 君 舎営を三泊四日にして欲しい、長い期間の方がよい。
隊 長 いやなこと、残念やったことは。
A 君 ラリーの前に交通事故に。会って、参加出来なかったこと。
T 君 日曜日の集会は、どこかへ行こうと思っても行くことができない。
O 君 舎営の6時起床が辛い、眠むたいから。
H 君 ケンカすること、いじめられること。
隊 長 それではケンカしたり、いじめられたりしたら、もう次の集会へ行くのがいやか。
H 君 そんなことはない、ケンカしたりするのは、その時だけ腹立つ。集会はまちどうしい。
隊 長 カブにきてよかったことは。
K 君 学校やったら上の学年はこわいけれど、カブに来たら、気兼ねなしに話をすることが出来る。
隊 長 「りす」スカウトに聞かせたいことは、父、何をする所ですかと聞かれたら。
S 君 すなおになること、体を鍛える所。
K 君 山登りをしたり遊んだり、みんなと一緒に。ゲームしたり、団体行動をとる所。
J 君 訓練するとこやから、がんぱれよ。
隊 長 では最後に抱負は。
E 君 デンチーフになって又、この組に帰ってきたい。
N 君 リーダーになるまでがんばりたい。
隊 長 では組集会の途中でわるかったね、続きをどうぞやって下さい。どうもありがとう。 ⇒
シニアー・ボーイスカウト
夏季野営おもいで話
夏季野営はシニアーが14回、ボーイが15回行ってきましたが、現隊員が経験してきた最近の5回の夏季野営におけるトヒックを座談会でまとめました。
その1 昭和46年幽霊事件(比良、義邦道場)
ある班でテント設営の際の溝堀りを行っていた時、人骨らしきものを発見、その夜ふとテントを誰かがさわるような物音がしたので、O君が目をさました。しばらくしてO君は尿意をもよおしたので、トイレに行った。用便の際に前方に白くぽやけた影が見えた。よく見ると何やらよろいを着た人の姿の様であった。用便もそこそこにテントヘ戻り、班員を起こし、全員で再びトイレに引きかえして見たが、既にその姿はなかった。
翌日、隊長に巡察の有無を確かめたがその時刻では行っていないとの返答だった。
O君の談話
「あれは絶対に武者の幽霊だ!足音もよろいの音もカチャカチャと鳴っていた。」
朝、その班の班長は心得があったのでお経をあげ、その骨を丁寧に埋葬した。その後は誰もその姿を見たものはいなかった。
あれは何であったのか?
その2 昭和46年K君事件
第3目目、午後のプログラムの騎馬戦を行った際、武者であったK君が落馬した。早速、A君が本部へK君を連れてきて、本部スタッフの一員が手当てをはじめた。K君は頭に包帯をぐるぐる巻きつけられ、手に副木をあてられ首から三角巾でつった。それを見ていたA君は青くなり、T班長に報告に帰った。
T班長はA君の報告を聞きすぐに本部へ急行し、K君の容態を確かめた。
A君は泣き出してしまい、T班長は顔面蒼白、うろたえてしまった。
しぱらくして本部スタッフは話し合っていた。
B 「少し人げさすぎたかな?」
C 「いや、常に班長がK君をしごきすぎていたので
これ位がよい薬になったのではないかな。」
(Kれの傷はかすり傷程度で、マーキュロクロムを塗っただけであった。)
その3 昭和48年マムシ件
奉仕に行ったSSの隊員が、ヘビの子供を捕えナイロン袋に入れて、テントの外に吊っていた。スタッフの一人がそれを見つけ、マムシの子供ではないかと言ったが、平気でそのままにしていた。
近村の人に調べてもらうと確かにマムシであった。
H君の談話「小さかったのでマムシとは思わなかった。はじめて実物を見て今後の為に良い経験になった。」
その4 昭和48年ヒマシ油事件
Y君の班は夕食の調理ミスにより、豚肉を半煮えのまま食べ腹痛を起こした。早速ヒマシ油をコップに2杯飲まされ、トイレにかけこんだ。その後彼はトイレに通い続け、天の夜は、トイレットペーパーを枕にして休んだ。
トイレに出かける時はS君に「S君、また行ってくるわ。」と言い、そのおかげでS君はY君につきあわされ、一晩中眠れなかった。そしてその夜とうとうトイレに行った回数は、20数回を数えるに至った。翌る日、班員が起きるとテントサイトは堀り返した穴が多数あったという。
(トイレは製作されていたが これは何であったか、Y君の名誉の為にあえて公表しない。)
尚、この記録は当団はじまって以来のもので、その後この珍記録を破った者はいない。
その5 昭和48年食パン事件
ある班員が本部の配給係へ朝食用の食パンの追加を申し出た。
その理由を問うと、K君が既に食パン4斤を食べ、まだ足りないという。そこで班員は食パン2斤をもらい受け班へ帰った。しかし
K君が食パン6斤を一度に食べたかどうかは、さだかでなく、一つの証拠は班員の話だけである。
その後、この話は当団の伝説になりつつある。
その6 昭和48年ある班長S君についての話
各班のサイト割わは抽選により行なわれ、S君の班は本部より一番遠く離れたサイトを引きあてた。
S君「これで本部に気がねせず、楽しく野営が過ごせるぞ!」
だが、しかし‥‥・
毎夜、班長会議が終わる頃にS君の班の班員が本部の所へやって来ていた。事情を問うと、S君
「あんまり本部から遠すぎて、夜道が恐ろしいので班員に迎えに来させているのです。」
(彼の班のサイトは本部より山側に、約400m程離れていたのです。またS君は現在、SS隊の隊付として、各隊員に目を光らせている。)
その7 雨の総集編
昭和43年の夏季野営より昨年のBGSC富士合岡野舎営大会まで、当団は連続8回にわたり、期間中必ず一度以上大雨にみまわれた。
その結果、当団の雨の対策技術、装備は個人の雨具を除いては、ほぼ満足できるものになった。
① 昭和43年
第3日目のキャンプファイヤーの開始直後、現RS隊長が「山賊の唄」を歌いだすと、とたんに歌詩の如く、一天にわかにかき曇り、大粒の雨が降りだした。これが雨との縁の付き始めでそれ以降、現在に至るまで夏季野営中での雨の歴史が始まった。
② 昭和44年
野営中、台風の接近により、ある班は風がテントを飛ばしそうになったので、班員総出で一晩中吹き飛ばされないように、テントの支柱を持ちつづけ、台風が過ぎるまで頑張り通した。
③ 昭和45年
台風接近中にもかかわらず野営を行なった。台風一過後の生駒より見る大阪の夜量は、すばらしく美しかった。特に、万国博の灯りがひときわ目立っていた。このようなすぱらしい大阪の町は、今後2度と見ることはできないであろう。
④ 昭和46年
それまで雲ひとつなく、晴天であった空が突如、雷を伴なう大雨(夕立)になり、みるみるうちに道が川となり、各テントサイトの溝を押し切って流れこんだ。その時、テント内を乾燥するために開けたままになっており、内部は濡れてしまうので、プログラムは中止となり、大急ぎで班員は帰ったが、既に遅くテント内は水びたしであった。一方、本部スタッフはスコップ、ツルハシを持って、排水作業にとりかかっていた。
教訓、油断大敵、そなえよつねに、溝はあと30cm深めに!
⑤ 昭和47年
前年の急激な大雨の教訓により、この年の大雨はほとんど被害はなかった。
⑥ 昭和48年
野営中に40日振りの雨が降った。前夜までは、異常乾燥の為に毎夜地元の消防隊が警備していた。
⑦ 昭和49年
3日目のハイキングの途中より降り出し、最終日の早朝まで降り続け、撤営作業に影響をおよぽした。
⑧ 昭和50年
初日より3日間降り続き、初日の雨量は190ミリに達した。少々の雨では影響のない山中野営場が至る所に川ができ、大きな溝を作った。しかしその溝もやがて続いて降りだした雨により、すぐに埋まってしまった。
以上、過去連続8年間の歴史であるが、51年以降はどうなるであろうか? ⇒
ローバースカウト隊
ひとりごと
僕は今年ちょうど20才である。カブ隊に入隊したのが小学校4年生の時であった。当時10才であったから、人生の半分をスカウトとして生きたことになる。
10年間のスカウト生活の蔭には、指導者各位の御助力があったのだと、今さらながらに思い、感謝の気持を忘れてはならないと自分に言い聞かせているしだいであります。
スカウト活動で「ちかい」「おきて」の実践を学んできました。今、僕は社会に出て4年目ですが、社会には色々な人種が混っています。それだけに。誘惑が心のすき間に入り込んで来る時が多々あります力気そんな時は野営での色々な事や、「ちかい」「おきて」を思い出し、社会人としてス
カウトとして恥かしくないように生きて行くつもりです。
私はこれまでのスカウト生活において沢山の思い出を残して来た。中でも日本代表として、海外派遣に参加出来て本当に良かったと思っています。これからも良い思い出を残して行きたいと思いますが、何分にも未熟者でありますので、皆様方の御指導を賜わりたくお願い申し上げます。
11年のスカウト生活をふり返って、まず思い出すのは最初のキャンプの事である。
雷の恐ろしさに震えながら服を着替えていた時、また雷が‥‥僕ははく物もはかずに毛布にうずくまってい
た。その時みんながはいって来たので毛布から出られずに往生したのだった。
大阪第11団が25周年を迎えるにあたり一言。
指導者の皆様ありがとうございました。
今日、この私がありますのも、本人の努力もさることながら、スカウト活動における成果と確信い
たしております。我が第2の故郷万歳、弥栄、愛してます。
スカウト生活約11年、11団も大きくなったものだ。昔は徳庵組と住宅組の少数であったが、今や鶴見区・東大阪市を支配してしまいそうな勢いである。これはすぱらしい事であると思う。
大阪第11団万歳!
私がボーイスカウトにはいって本当に「よかったなあ」と思う時!
☆スカウティンダフォアボーイズの本を枕にして寝た時。
☆ガールスカウトのかわいい女の子にラブレターをもらった時。
ボーイスカウトを「やめようかなあ」と思った時!
☆制服を着て歩いていて、子供に「あっ、自衛隊の少年団や」と言われた時。
☆キャンプの食事の時に、御飯の中の小石をかんで死ぬほど痛かった時。
大阪第11団結成25周年、私が生を受けてまだ20年ですから、その永さに驚かされています。
私のスカウト生活にも色々なことがありましたが今になればすべて良い思い出です。
私のスカウト生活に力を貸して下さった皆様、本当にありがとうございました。
そして尚一層の御助力をお願い申し上げます。 ⇒
営 火 夜 話
昭和50年8月BGSC富士合同野舎営大会における大営火は日本連盟山中野営場に250名のスカウト、スカウターに加え、関忠次先生(日本連盟)金井野営場長を招き盛大裡に行われ、その営火プログラムの1つに大会長(奥田祐美)の夜話があった。
参加者すべてが話に聞き入り感銘を受けた。
この話の内容こそ我々が日常の場で心せねばならぬことがらであり、それがゆえに記念誌出版を機会に印す訳である。
BGSCに所属するすべての者がここに載せられた夜話の意義をじっくりとかみしめ味わい、そしてこれが、ちかい、おきての実践と同様に常に心の片すみにあってスカウト活動、家庭、学校、職場、社会において、それぞれが心がける事を期待するものである。
私達はともすれば無責任な言葉をよくいいます・・・・・・
その結果相手を傷つけ、苦しめることかあります。
これはその昔、忍野八海の一つ「銚子カ池」にまつわる伝説です。
嫁入りして来た日、おひろめの席に集まった村人は嫁の一つ一一つの動作に注視している中を、酌をして回った嫁は、朝から充分な食事もせず、腹が空いていたのか、固くなりすぎていたのか、酌をしようと上体をのばしたとき、目に映った膳の上のご馳走、思わずのどをならしたひょうしに腹が鳴ったものか、新らしい帯が鳴ったのか、「グウー」という音がした。そこに居合せた人は「グウー」という音に、シーンとした村の人、親せきの人は、いっせいに嫁をみた。
一人二人が「クスクス」と笑うど、それにつられて「ドッー」と哄笑がおこった。「嫁が屁ぴいた」「大きな音で……」と口から口へ、人から人へ、勝手もとで手伝っていた人まで、座敷へ上ってきた。
こうした話しは、小さいものほど大きくなりやすく、軒先に立って見物していた、村の若い衆まで「こいつは村はじまっていらいの一つ話しだ、嫁が屁ぴいたそワッハハ・・・・」
当の嫁は、身に覚えのないことでも、耳タブまで真赤にし、さまざまのあざけりの中で頭がボーとなってしまいました。「私は屁などこかない、空いたお腹と、ゆるんだ帯がいっしょに鳴っただけなのに」
心の中で抗議しても、若い嫁には弁解の余地はなかった。期待をはずされた婿が、こわい顔でにらみ、姑たちは、恥をしのんでいる様子、居たたまれなくなった嫁は、銚子をもったまま、ふらふらと立ち上った。はきものさがして、はく余裕もなく、はだしのまま勝手口を出た嫁は、「なんとはしたない嫁よのう、恥さらしの」といった村人のささやきに・・・・いくら弁解しても、これから一心に働いても、つよい子を産んでも、一瞬のぬれ衣をぬぐい去ることはできない、おそらく今日のことは、村の笑い話しとして、末代まで語りつがれていくことだろう。
「あそこの嫁は、おひろめの席で屁をひった」と・・・・
婿はこんやのうちに不縁を言渡すであろうし、祝福されて送りだしてくれた里の人にあわす顔がない、屁一つでこれだけのむくいを受けたとしたら・・・・もはや死ぬよりほかに、のがれる道がない。
嫁は、あわれに晴着のまま、冷たい忍野の池にとびこんでしまいました。手に銚子を持ったまま・・・・
それから誰いうとなしに「銚子カ池」と呼ぶようになりました。 ⇒
あ と が き
私達のボーイ、ガールスカウトの団が狐々の声をあげて本年で夫々25年、10年と期を同じくして祝福すべき年に当りこれを記念して本誌を発刊することになりました。
企画に当っては休隊の一時期もありましたが四分の一世紀に及ぶ活動記録の概略をはじめ、なつかしい思い出の多い野舎営或いはスカウティンピックの模様、入団、昇進、任命式の状況などを出来るだけ写真入りで載せたらとか、又OBの方々の声もとか、あのことも載せたいこのことも載せたいと、刊行委員会団関係者が会合を重ねる毎に希望が出て、その内容がふくれ上ってきました。
しかし種々の制約もありこれらを取捨選択の上ようやく編集、印刷の上、こりこお届けすることとなった次第です。
約半年に亘るBGSC各指導者の協力ならびに御寄稿賜りました関係各位、更にバックアップしていただいた育成会に対し衷心より厚く御礼を上げます。
この記念誌が手にされるみなさんにとってよき思い出の記録であり、心の糧でありますと共に団にとっても貴重な記録の集大成であってくれれば刊行委員にとってこれにまさる喜びはありません。又一人でも多くの人々に読まれスカウト活動について兜に理解を深めていただける事を念じてやまない次第です。
いやさか
記念誌編集委員会 ⇒
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